浜松八幡宮
掲載情報は2025年5月9日時点のものです。最新情報と異なる場合がございますのでご注意ください。

浜松の中心市街地からほど近い場所にありながら、豊かな緑に囲まれた静けさが魅力の浜松八幡宮。歴史ある由緒を持ち、徳川家康公とも深いゆかりがあることから、出世や開運を願う多くの人々が参拝に訪れます。日常の神社詣り

最近では、神社にお参りする機会といえば初詣くらいになっていましたが、今回の取材を通して感じたのは、特別な日でなくても、ちょっとした気分転換やリフレッシュとして、神社はとても良い場所だと改めて実感しました。
デスクワークが多いので、気分転換と健康のためにウォーキングしてるんですが、これからはその途中で、街なかにあるのに自然がいっぱいで静かな時間が流れる浜松八幡宮にも、よく立ち寄るようになりそうです。

本殿参拝だけじゃもったいない!境内の神社・史跡
境内には、隠れたパワースポットや、見逃せない歴史的スポットがあります。
雲立(くもだち)のクス

浜松八幡宮の境内で、ひときわ存在感を放っているのが、大きく枝を広げたご神木の楠です。
長い年月をかけて育ったその姿には、心をスッと整えてくれるような、穏やかさが感じられます。
案内板より
楠の巨樹で、地上1.5mの幹回り約13m、根元回り14m。枝張り東西約21m、南北約23m、樹高約15mあり、幹の下部には大きな空洞がある。幹は地上1.5mのところより数枝に分かれ、古木の部は樹勢が衰えているが、新生部はすこぶる旺盛で、枝葉は四方に繁茂している。
永承6年(1051年)八幡太郎義家が当八幡宮に参籠の祈り、樹下に旗を立てたとの伝承から「御旗楠」と称された。また、元亀3年(1572年)徳川家康は三方原合戦に敗れ、武田軍に追われてこの楠の洞窟に潜み、その時瑞雲が立ち上がったとの故事により「雲立の楠」と称されるようになった。
永承6年(1051年)八幡太郎義家が当八幡宮に参籠の祈り、樹下に旗を立てたとの伝承から「御旗楠」と称された。また、元亀3年(1572年)徳川家康は三方原合戦に敗れ、武田軍に追われてこの楠の洞窟に潜み、その時瑞雲が立ち上がったとの故事により「雲立の楠」と称されるようになった。

摂社 東照宮

浜松八幡宮とゆかりの深い徳川家康公をお祀りするお社
末社 浜松稲荷神社

私たちの暮らしに寄り添う身近な神様、お稲荷さま。古くから浜松八幡宮の境内末社としてお祀りされていたと伝わります。
摂社と末社の違い
摂社に該当する条件としては、まず本殿御祭神の荒魂(あらみたま)や后神(きさきがみ)・御子神(みこがみ)を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や地主神(じぬしがみ)など、特別な由緒がある社としていました。
こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。
参照・引用 / https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/smallkeidai/
こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。
参照・引用 / https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/smallkeidai/
浜松名称起源、颯々の松(ざざんざのまつ)

案内板より
伝承では当宮が現在地へと遷座した際に、白狐が浜から携えてきた松の苗木が繁茂して颯々の松になったといいます。その後、浜の松が転じて里の名が浜松となり、浜松の名称の起源になったと伝えられています。
また、室町六代将軍足利義教公が富士見物に下向した折、この松のもとで「浜松の音はざざんざ」と謡ったことから、この松を「颯々(ざざんざ)の松」と呼ぶようになったとの伝承もあります。
また、室町六代将軍足利義教公が富士見物に下向した折、この松のもとで「浜松の音はざざんざ」と謡ったことから、この松を「颯々(ざざんざ)の松」と呼ぶようになったとの伝承もあります。
現在の颯々の松は、平成23年に石碑が浜松八幡宮の境内へ移された際に植えられた、5代目にあたる松です。
松島十湖の句碑

案内板より
「はま松は 出世城なり 初松魚」
明治大正期に「今芭蕉」と讃えられた浜松の俳人、松島十湖(まつしまじっこ)の句を刻みます。
「出世城」という浜松城の通称はここから起こったとも言われています。
明治大正期に「今芭蕉」と讃えられた浜松の俳人、松島十湖(まつしまじっこ)の句を刻みます。
「出世城」という浜松城の通称はここから起こったとも言われています。
駐車場

境内を囲むように、約80台分の無料駐車場が整備されています。出入口や通路はやや狭いため、混雑時の運転にはご注意ください。